あなたの名前を教えてください。



なんで来ちゃったんだろう。
点滴の針が刺さっていた部分を押さえながら、ハァと溜め息をつく。
私は何故かあの病室の前までやって来てしまっていた。
また来いよ、と云われはしたけど、別に従う必要もないしお見舞いするような間柄でもない。
けれど病院に来てはいるわけだし、関わってしまった手前無視して帰るのもなんとなく気が引けてしまった。
なんでだろう、あの人は、一体なんなんだろう。
幾度かの逡巡の後、私は思い切ってドアをノックした。中からどうぞ、という声が聞こえたのでそろそろとスライドのドアを開けてみた。

「あのう、こんにちは」
か!」

彼はすぐににかっと笑みを向けて来た。あ、この笑顔、好きかも。屈託のない笑顔。

「そんなとこに居ないで、こっち来いよ」
「はぁ」
「来るのが遅いぞ。待ってたんだからな」
「・・・」

云われるままにベッドの隣まで行く。椅子に座るようにすすめられたけど、素直に座るのがなんだかためらわれた。
待ってた、なんて・・・本当かな。来るか来ないかなんてわからないし、むしろ来ない確率の方が高いと思うんだけど。

「どうした?ほら、座れって」
「・・・ありがとうございます」
「それは俺の台詞だ。来てくれると思ってはいたが、暇で暇でしょうがなかったからな。来てくれて嬉しい、ありがとう」

またにかって笑う彼に、なんだか気恥ずかしくなった。どうしてこの人はこんなにストレートに云えるんだろうか。
私には真似ができないから、すごくまぶしく見える。

「・・・怪我、大丈夫ですか」
「ああ、痛いのは痛いが、それ以外は健康そのものだからな」

骨折部分は腕と足ってところだろうか。それと打撲が数か所。それ以外は本人が云う通り元気そうだから、動けないというのはさぞかし退屈なことだろう。
そう考えると来てくれて嬉しいという言葉は嘘じゃないんだろうと思う。この人はなんとなく、そういう嘘はつかなそうな気がする。

「3階から落ちたって聞きましたけど、その程度の怪我で済んでよかったですね」
「その程度ってなぁ。これでも足は全治2か月なんだぞ」
「頭とか打たなくてよかったですねって意味です」
「・・・まあな」

打ち所が悪ければ死んでいてもおかしくないんだから、骨折だけで済んだのは不幸中の幸いだろう。
そう云うと、なんだか意味ありげに視線をそらされた。・・・なんだろう、この感じは。

「お前こそ大丈夫なのか。倒れたんだろ」
「私は大丈夫です。今も点滴受けて来たし、明日からは学校行ってもいいって云われました。」
「そっか。んで、なんで倒れたんだ?」
「え?それは・・・秘密です」

まさか正直に答えるわけもいかなくて言葉を濁すと、彼は眉を上げた。

「ちゃんと飯食ってないんだろ」
「えっ!なんでわかるんですか」

図星を指されてびくっとなると、はぁと溜め息をつかれる。え、適当に云ってみたのにまさか当たるとはって・・・だ、だまされた・・・
悔しがる私の頭にぽん、と手を置いて、彼は心配そうな目で私の顔を覗き込んで来た。その近さにどきっとする。

「あ、あの?」
「適当に云ったってのは本当だが、お前、どう見てもやせ過ぎだぞ?」
「そんなことないです。体脂肪率も体重もちゃんと人並みにあります」
「平均よりだいぶ少ないだろ」
「そんなことないもん」

そう、別に、体重も体脂肪も異常に低いわけではない。だから大丈夫ってタカをくくってた部分も、確かにあるけど・・・
それにしても、どうしてこの人は昨日会ったばっかりの私のことをこんなに心配してくれるんだろう。
そして、その心配が嫌だと思わない私は、どうしちゃったんだろう。

「どっちにしろ痩せているのに変わりないんだから、ちゃんと飯は食べろよ。基本だぞ」
「・・・がんばります」

それは、正論だった。やっぱり人間、食べないとダメなんだなぁって身にしみました。
かと云って、小さくなった胃がすぐに食べられるようになるとは思えないんだけどねぇ。
これからのことを考えるとちょっとばかり気が重いけれど、また倒れるのは御免だし頑張らないといけないな。

「なぁ」
「はい?」
って呼んでもいいか」
「は?別に、かまいませんけど・・・」

改まって何を云うかと思えば・・・名前を呼ばれて嫌な気はしなかったので、了承すると彼は嬉しそうに笑った。
俺のことも名前で呼んでいいからなと云われて、そういえばまだこの人の名前知らないと思い当たる。

「そういえば、名前なんて云うんですか」
「・・・は?」
「・・・え?」

何をそんなに驚くことがあるんだろうか。だって一度も名乗られてないのに、知るわけないじゃないか。

「お前、俺の名前知らなかったのか」
「はぁ、知りませんが」
「・・・・・・」
「ていうか、そもそもなんで私の名前知ってたんですか」
「そりゃあ、お前は高等部でも有名だからだ。そうか・・・俺のこと知らなかったのか」

何やらショックを受けているようですが、いくら生徒会長だからって高等部の人の名前なんて知ってる人はそんなにいないと思いますが。
あ、でも、そういえば今思いだしたけど、コトネが高等部の生徒会長も景吾と同じように1年生で会長になったって云ってたような。その時、名前も云ってたような。でも忘れた。ごめん。(ちなみに病室の前に書いてるだろうってツッコミも却下する。見てなかったんだよ!)

「いいか、俺の名前は不知火一樹だ!覚えとけ」
「うん、一樹くんね」
「うん、一樹くんねって、お前な」
「え?名前で呼んでいいんでしょ」
「そりゃまぁそう云ったけどな」

思わず敬語まで取れてしまったけど、特に何も云われなかったのでいいかとそのままで突き通すことにした。
先輩なんだけど、実年齢からしたら年下だもんね。

「それで、なんで私が高等部でも有名なの」
「この間のミスコンで一躍有名人だ」
「・・・嬉しくない」

あれはこの世界に来てからの思い出したくない過去その一だ。あんな恥ずかしい経験は初めてと云っても過言ではない。
できれば忘れたいのにことあるごとにその話を持ちだされるのでその度にあの時のことを思い出す。ううう。

「もーその話はいいや」
「いいって自分から聞いたんだろ」
「で、一樹くんはなんで3階から落ちたの」
「あ?まぁ、なんだ、はずみだ」
「間抜けだね」
「んだとぉ?」

はずみで3階から落ちるなんて間抜けもいいところだ。まぁ、なんとなくそれが本当の理由ではないだろうと思ったけど。
この人はなんだか・・・そう、ずっと感じている違和感が、ある。それがなんなのかわからなくてもどかしいけど・・・。
会ったばかりなのだから、わからないのも無理ないんだけどね。おいおいわかって来るだろう、と考えてふと思う。
“おいおい”って・・・この先長い付き合いになるみたいな。何この展開。そもそもまた来いよとか、絶対来ると思ってたとか・・・ちょっと変だよね。
じっと一樹くんを見つめると、なんだ?と首を傾げられた。うーん、考え過ぎかな。
それともそれもこの先、わかるようになるのかな。普通に進学すれば高等部で一緒になるだろうし、それを見越してってことでも考えられるしな。もう、よくわかんない。

、お前今楽しいか」
「え?うん、楽しいけど」
「そうか。だが、高校はもっと楽しくなるぞ」
「・・・まだ先の話だよ」

この人は、まだ、よくわからない。でも、この人がいる高等部は、なんだか楽しそうだと思ってしまう。そう思わせる何かを、彼は持っていると思った。

「見てろよ、お前が早く高等部に来たいと思えるような学園にしてやるからな!」
「それよりまず怪我を治すことが先だよ」
「ぐ・・・そ、そうだな」

少し項垂れた彼が少し可愛く見えて、はははと笑うと恨みがましい目を向けられた。