はじめまして。
やばい、と思った。
ぐらぐらと揺れる視界はだんだん色を失い、自分が立っているのか座っているのかもわからないほど神経が麻痺している。
今日は朝から具合が悪かった。いや、“今日は”じゃなくて“今日も”、か。
最近やたらフラフラするなって自分で気付いていたし、リドルにも心配かけていた。
いい加減見かねたリドルに学校を休むよう勧められたけど、熱があるわけではなかったしどうしてもダメだったら帰って来るからと反対を押し切って家を出た。
けれどこんなことになるなら大人しく家で寝ていればよかったと思っても後の祭りである。
「ちゃん!すっごく顔色悪いよ!保健室行った方がいいよ!」
「え?」
いつの間にか2限目の授業は終わっていたらしい。コトネが私の顔を見るなり吃驚して目を見開いた。
あー、そうだよね。こんなにまで自覚症状があるんだから、傍から見ても酷い状態だろう。なんて冷静に考えていると、コトネが焦ったように私の腕を引っ張る。
「早く、保健室行こ!」
「コトネ、ま・・・っ」
待って、という言葉は最後まで音に成らなかった。引っ張られて立ち上がった瞬間、ぐらりと盛大に目が廻った。
次いで感じたのは衝撃、ガタガタッという音、コトネの悲鳴。ああ、倒れたのかと頭の片隅で思った。
「若葉、どけ!」
「跡部くんっ」
景吾の切羽詰まった声が聞こえて、身体が浮き上がる。あれ、これってもしかして景吾に抱っこされてるのかな?
うっすらとしか開かない目をこらしても、周囲の様子はよくわからなかった。とにかく、だるい。気持ちが悪い。
「保健室に連れていく!若葉、お前は担任を呼んでこい!」
「わ、わかった!」
周りの喧騒がどんどん遠のいていく。私を抱えているであろう景吾の体温さえ、もう感じることができなかった。
「このバカ・・・っ」
景吾が小さく呟いた。ごめんね、と云いたかったけれど身体は動かず、いつの間にか意識さえ手放してしまっていた。
ふ、と意識が浮上する。目を開けるとリドルが心配げな表情で私を見下ろしていた。
あれ、なんでリドルがいるんだろう。私、どうして寝てたんだっけ。
「?大丈夫?」
「リドル?」
「・・・だから今日は休めって云ったのに。云うことを聞かないからこんなことになるんだよ」
「・・・もしかしてここ病院ですか」
「もしかしなくてもそうだよ」
ぼんやりとしていた意識がだんだんはっきりしてくる。そういえば私倒れたんだったと思い出した。
ハァ、とリドルが大きく息を吐く。
それは溜め息ともとれたし、ほっと息をついたようにも見えた。
「具合はどう?だいぶよくなった?」
「うん、まだちょっと気持ち悪いけど、大丈夫」
「そう、よかった・・・」
すっとリドルの腕が伸びて来て、前髪を撫でられた。そのまま何度も髪を梳くように撫でられて、安心する。
ああ、心配、かけちゃったんだなぁ。いつもより優しい表情のリドルに、申し訳なく思う反面、不謹慎にも嬉しくなってしまってふふっと笑ってしまった。
「何笑ってるのさ」
「ううん、ごめんね。いろいろ」
「わかってるならこれからは僕の云うことを素直に聞くように。あと、無理はしないこと」
「はーい」
軽い返事を返した私に、本当にわかってるのかな、とリドルは顔を顰めたけどそれ以上はお説教しなかった。
しかし・・・倒れるなんて自分でもちょっとびっくりなんだけど。今まで具合がどんなに悪くても倒れるなんて経験なかったから。
壁にかかっている時計を見れば午後4時を少し回ったところだった。意識を失ったのは2限目が終わった後だったから、5時間近く気を失っていたということになる。
腕につながったチューブの先、点滴の液体が粒になって落ちる様子を見つめながら、これは一体何の点滴なんだろうと思う。
「ねぇ、私なんで倒れたのかな」
「・・・栄養失調による貧血、って云われたよ」
「え、栄養失調?」
「、今日からは嫌だろうがなんだろうが無理にでも特別メニュー食べてもらうから覚悟しなよ」
「え、笑顔が怖いですリドルさん」
そんなに食べてないつもりはなかったんだけど、確かにこの世界に来てから食事の量が減った・・・と思う。
もともと小食な方だったけど、リドルはいつも私が食べたくないと云うのを無理に食べさせようとしなかったからどんどん食べなくなっていった。
倒れるなんてよっぽどなんだろうなぁ。これはリドルの云う通りしばらくは無理にでも食べないと。
なんかショック。自己管理ができないなんて、情けない。私が落ち込んだのに気づいたのか、リドルはまた優しく頭を撫でてくれた。
しばらくして、看護士の女性が様子を見にやってきた。点滴が既に落ちきっているのを見ると微笑んで、調子が良さそうなら帰って大丈夫ですよと云った。
あと、数日間は毎日点滴を受けに来てくださいと云われ、思わず大きな溜め息が出てしまう。まぁ、自分がいけないんだけどさ。
「リドル、帰ろうか」
「大丈夫なの?」
「うん。あとは家帰って寝る」
起き上がろうとするとリドルが手伝ってくれた。ベッド脇にかけてあったブレザーも取ってくれて、広げてくれる。
それに腕を通していると看護士さんがそういえば、と口を開いた。
「そういえば、さんは氷帝学園の生徒さんだったわね」
「はい、そうですけど」
「さっき、また生徒さんが運ばれて来たのよ。3階から落ちたって云っていたけど」
「え?」
知ってる子だったら心配よね、と云って看護士さんは眉を顰めた。3階から落ちたなんて、大けがなんじゃないだろうか。
なんとなく背筋に寒いものを感じながら、おそるおそるその運ばれたという人の名前を聞くけど、看護士さんはそこまでは知らないと云った。
「でも確か、生徒会長さんだって聞いたけど・・・」
「!」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に走り出していた。後ろからリドルの止める声が聞こえたけど、止まれなかった。
足下がふらつくから何度も壁にぶつかったし、どこをどう走ったのか覚えてない。意識を失う前に聞こえた「このバカ」という声を思い出した。
途中ですれ違った看護士さんに道を聞いて(走らないでくださいと云われたけどそれどころじゃなかった)教えてもらった病室の前まで来ると、その勢いのまま部屋に飛び込む。
そこに居たのは景吾・・・ではなく、知らないおにーさんたちだった。
「あ、あれ?」
「な、なんだ?」
いきなり飛び込んで来た私に、彼らは目を見開いていたけれど、白衣を着た人はすぐに微笑んだ。
「跡部くんだと思ったのか」
「えっ、あ・・・はい、でも、人違いでした」
「ああ、残念だが。いや、この場合よかったなと云った方がいいか?」
「いえ・・・」
確かに、景吾じゃないとわかってほっとしてしまったが、それじゃあ怪我をしている彼に対して失礼だ。
ちらりとベッドの上の彼を見る。高等部の制服・・・氷帝学園の生徒会長は生徒会長でも、高等部の生徒会長だったってことか。
初めて見るけど、なかなかに男前じゃないですか。なんて思っているとばちりと目が合った。ん・・・なんだろうこの違和感みたいの。
「お前、か」
「え、そうですけど」
高等部の生徒会長さんは、なんと私のことを知っているらしかった。ていうか初対面の人にフルネーム呼び捨てられるっていい気分ではないな。
そうか、お前がなぁ〜、成る程、としきりに頷かれるのもなんとなく嫌だし。む、と顔を顰めると白衣の男性が隣まで移動して来て顔を覗いてきた。
か、顔が近い。なんだかどぎまぎしてしまって、むっとしていた気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「倒れて運ばれたって聞いたけど、大丈夫なのか?」
「は、はぁ。いや、今盛大に目が回っています」
「どこから走って来たんだ?あんまり無理するなよ」
「はい」
ぽん、と頭に手を乗せられた。とても自然な動作だったから、嫌な感じはしなかった。素直に頷ける。
この人は、誰かな。私のことも景吾のことも知ってるみたいだし、高等部の保健医の先生かな。顔を覗かれたのも顔色を見るためって感じだったし。
ひょろりとした若い男性で、イケメンだし、服装の緩さも相まって先生には見えないけど。
そういえば、コトネが高等部の先生は若い男の先生が多くてうらやましいって云ってた。早く高等部行きたい〜とかも云ってた気がする。
「!やっと見つけた」
「あ、リドル・・・」
ばたばたと走る足音が聞こえたと思ったらリドルが部屋に入って来た。
あ、忘れてた・・・なんて云ったら絶対怒られるだろうから云わないけど、既にリドルはご立腹状態だった。
や、やばい・・・。
「その身体で走るなんてバカじゃないの」
「す、すみません」
「・・・彼じゃなかったんだね」
「そ、そうみたいです」
「じゃあ帰るよ」
「は、はい」
ただ平謝りして頷くしかなかった。手を引かれて部屋を出る寸前、あ、と思って振り返る。
「あの、お騒がせしました。お大事に」
「また来いよ」
「え?」
きょとん、と目を丸めた私に、高等部の生徒会長さんはにっと不敵な笑みを向ける。
また来いって・・・どういうこと?理解が追いつかない私に彼は畳み掛けるように云う。
「また来い、って云ったんだ」
「はぁ」
「・・・、行くよ」
なんなんだろうあの横暴な感じは。あんな足吊った状態なのにやけに堂々としてるし、タダモノじゃなさそうだけどさ。
氷帝の生徒会長には俺様っていう属性が必須なんだろうか。ふと隣のリドルを見上げたら、ものすごく顔を顰めていた。背中にどす黒いオーラのようなものが・・・
「り、リドルさん??」
「・・・あいつ、何」
「え、今のですか。えと、高等部の生徒会長さんのようです」
「高等部?ふうん」
なんだか意味ありげに呟いたリドルはいろんな意味で恐ろしかった。表情は普段に戻ったけど、纏う雰囲気がなんとなく、怖い。
これ以上リドルを怒らせてはならないと、私はしばらく絶対に口答えはしないと決めたのだった。