主に会えるようになって楽しい時間が増えたが、退屈な時間も増えた。主に会えないと、ひどく退屈だ。何か新しい驚きはないかと本丸内を彷徨い歩いていると、いつもはキリっと姿勢正しくいる一期一振が珍しく机に肘をついて神妙な面持ちで座っていた。
「はあ」
「どうしたどうした?珍しいじゃないか大きなため息なんかついて」
弟たちの前では絶対にしないであろうその様子に面白そうな気配を察知して声を掛けると、俺が近づいていたことにも気づかなかったのか、一期一振は驚いたように顔をあげた。おや、これは本当に珍しいものを見たな。
「鶴丸殿」
「何か悩みがあるなら聞くが?」
「いえ、悩みというほどでもないのですが…」
そう言う割には、明らかな憂い顔だ。こりゃあ、あれだ。間違いなく、
「主絡みだろう?」
「なっ、なぜそれを」
「ははは、そりゃあ君、いつも近侍終わりに同じような顔をしてるぜ。バレバレだ」
「参りましたな…」
常に驚きを探し求めている俺は本丸内の様子を事細かに把握している。一期一振がこういう顔をしているのを見るのは珍しいが初めてではないのだ。しかしいつ弟が通るかも知れない場所でこの様子じゃ、今回は割と重症のようだ。
「で、主がどうしたんだ」
「どう…というわけではないのですが、未だに余所余所しいと言いますか、私といると緊張されるようで」
「打ち解けてくれないってか?なぁ、君、それは聞きようによっちゃ惚気だぜ?」
呆れた。何かと思えばそんなことか、と思った。しかし一期一振にとってはそれなりの問題であったようで、これまた珍しく声を荒げて詰め寄られる。
「な、何故ですか。もう何度もお会いしているのに初対面の時と変わらないのですぞ。さすがに土下座されることはなくなりましたが、その程度なんですぞ。むしろ距離を取られているような…聞く話によれば、主はたいへん甘えん坊で、薬研にはもうべったりだとか。私には全く甘えてくださらないのに…っ」
そうは言うが、だってなぁ、未だに緊張してるってそれ、男として意識されてるってことだろう?っていうのは癪だから教えてやらないでおこう。俺もそこまで優しくはないぜ。他になんといってやろうと考えを巡らしていると、じとっと見つめられた。おいおい、男に見つめらるってのは案外ぞっとするな。
「鶴丸殿の前では、主はどんなご様子なのです?」
「え?あー、そうだな、打ち解けてはいるな。なんせ殴られるくらいだからな!」
「なぐっ?!あのお優しい主殿がそんなことをするなんて、何をやらかしているんですか。事と次第によっては…お覚悟を」
何をどう勘違いしたのか(いや案外当たっているかもしれないが)、本体を抜こうとする一期一振を慌てて制止する。こいつは普段温厚なくせに弟と主のことになると一等恐ろしい。
「待て待て。殴ると言っても本気じゃない。戯れ程度だ。ちょっかいかけるとなぁ、真っ赤になってぺしりと肩や背中を叩いてくるんだ。それがまた可愛くてなぁ。ついかまってしまう」
「そ、そうですか。随分と仲良くなられたのですね」
刀を納めた一期一振はしゅんと項垂れた。惚気の意趣返しに可愛い主の様子を教えてやったら思った以上に落ち込んでしまったようだ。これが主だったら思いっきり慰めてやるんだがなぁ。はあ、主の話をしていたら余計に主に会いたくなったぞ。
「なぁ、一期一振よ」
「わっ、三日月殿、いつからそこにいらしたのですか」
「はっはっは、ずっといたぞ」
「それは、気づかず申し訳ありません」
「何、よいよい。悩み事があると、気もそぞろになるものよ」
俺が来た時からこいつは縁側で茶を啜っていた。一期一振が何に悩んでいるのか知った上で放置していたのだろうが、一期一振は丁寧に頭を下げる。律儀なやつだ。
「んで?何を言いたかったんだ三日月」
「おお、そうだった。一期一振よ、お主から主へと歩み寄ってはいるのか?」
「え?それは、勿論…」
「そうか。だが向こうはそう思ってはいないかもしれないなぁ」
「えっ」
「一期一振はちと完璧すぎる。隙がない相手に、心を開くのは中々難しいものだ」
何を言うのかと思えば、なるほど的を射た助言だ。正直驚いた。
「確かになぁ。ただでさえ俺たちは人間にとって畏怖の対象だ。こっちから砕けてやらないとそうそう壁は崩れない」
「俺もなぁ、最初とても緊張されたが、すきんしっぷをしていたら懐かれたぞ。すきんしっぷはよいぞ」
「待て待て。それセクハラじゃないだろうな、じいさん」
自分の事は棚上げかと言われようとかまわん。おそらく、俺の勘じゃ、俺の比じゃないことを三日月はやっている。なんせ感覚が平安時代のままなのだ。
「む、そうだ、そのせくはらとはなんだ。主もよくその言葉を使う。まぁよくわからんが、結果的に仲良くなっているのだからよいだろう」
「おい、お前も主に殴られるだろ。それも割と強めに叩かれるだろ」
「何故知っておるのだ。うむ、一度思い切り頰を引っ叩かれてな、少し赤く腫れてしまったのだが、何故か主の方が慌ててしまってなぁ。涙を目いっぱいにためて『2度と顔は叩きません』と言って必死に縋り付いてきたのは可愛かったなぁ。はっはっは」
その時のことを思い出しているのか、両手が宙でわきわきと動いていた。何を触ってるんだ何を!
「じいさん、アウトー」
「お覚悟」
「あなや」
一期一振と二人がかりで三日月を簀巻きにしながら、一つだけ助言しておいてやろうかと魔が差した。
「ま、甘やかしたいなら、一度思い切り甘やかしてみな」
「…わかりました。やってみます」
きっと主も喜んでくれるだろうしな。ああ、結局優しいなぁ、俺は。


次に主に会ったら、何故か泣きつかれた。
「鶴丸~!一期に変なこと吹き込んだでしょ~!ばかばかっ」
「おっと、なんだ、変なことされたのか」
「変なことっていうか、めちゃくちゃ甘やかされた…恥ずかしいったらなかった」
ぽかすかと胸を叩かれるが、正直全く痛くない。ああ、叩くなら肩を叩いてほしいぜ。しかし、一期一振も馬鹿正直に決行したらしい。何をされたのかその時のことを思い出したらしい主は真っ赤になって涙目だ。そんな顔で見上げられては、正直むちゃくちゃ可愛いじゃないか。
「…よかったじゃないか」
「よくないっ!心臓がもたないっ」
「ちゃんと動いてるから大丈夫だ」
「そういう問題じゃない~もう~」
「よしよし、悪かったよ」
「うう~」
小さな頭を引き寄せると素直に俺の腕の中に収まる。何度か頭を撫ぜてやると落ち着いたらしく肩の力が抜けて、全身で俺に凭れてくる。甘えられていると感じて嬉しくなった。この気持ちを、あいつも感じるようになったんだろうか。少しばかり、面白くない。
「…一期一振が悩んでいたから助言してやったんだが、ダメだったか」
「悩んでた?何に?」
「主が打ち解けてくれないと落ち込んでいた」
「ええ?」
一期がそんなこと悩んでたの?とびっくりして顔をあげる主。心底驚いたというような顔で、少しだけ一期一振に同情した。が、俺の案は一応功を奏したらしい。主のやつの呼び方が、『一期さん』から『一期』に変わっている。無事に距離は縮んだようじゃないか。全く、敵に塩を送るとは俺もどうかしてるぜ。でも、口ではこう言いながらもまんざらでもなさそうな主の顔を見るとよかったなと思うんだから末期だ。
「他のやつには甘えているようなのに自分には甘えてくれないって言うんで、甘やかしたいなら思いきり甘やかせばいいと言ったんだ」
「それ鶴丸が言ったの。そんな、ええ~」
「甘やかされるの好きだろう。存分に甘えておけばいいじゃないか」
「うう~でもみんな甘やかしてくれるからダメ人間になりそうで怖い」
いいぜ、ダメになっちまえよ。そんで堕ちてこい。なんてことを少し考えて頭を振った。
「ダメ人間にならないようには加減してやるよ」
「ほんと?だいじょぶ?今かなり甘え過ぎじゃない?」
「大丈夫だ。問題ない。外ではいつも通りちゃんとやってるだろ?家にいる時くらい、力を抜いて、甘えられる相手に甘えればいいじゃないか」
「鶴丸~、なんなの~私を甘えさせる天才なの~」
「はははっ、そりゃいいや」
ぐりぐりと頭をこすりつけてくる主は、まるで猫のようだと思った。そうだ、猫だ。気を許した相手には全力で甘える、気まぐれで、人懐こい、愛想のいい猫だ。可愛くて、ついいろいろとかまいたくなってしまう。
「全く、主は本当に可愛いな」
「もー、そういうこと言うから、鶴丸ほんと好き」
「ははは、主はみんなが好きなんだろ」
「そうだよ。みんな大好き」
知ってるさ。主はみんなが好きなのさ。だから俺も今は、まだその位置で満足しておくのさ。今はまだ、な。